暗幕のゲルニカ

 

暗幕のゲルニカ (新潮文庫)

暗幕のゲルニカ (新潮文庫)

 

 

「楽園のカンヴァス」があまりにも面白すぎて、原田マハの最高傑作はこれだろうと思うと、彼女の他の作品を読む気にならなかった。けれど、TSUTAYAでこの「暗幕のゲルニカ」が推されていたので、2匹目のドジョウももしかしたら美味しいのかもしれないと思い、買って読んだら大ハズレ。

面白くなかった原因は何なのだろう。主人公である瑶子らキャラに魅力がないこと(「楽園の~」では、主人公の娘にとにかく萌えさせられた。)。ゲルニカ自体に芸術的な価値を感じられないこと(僕はピカソでは薔薇色の時代が大好きだ。)。などがすぐに思い付くところ。

もう一人の主人公であるドラ・マールを中心に据えたほうが良かったのかもしれないが、それだと二つの時代を交互に見せるというこの小説の構造が成り立たない。つまりは、現代を描いたパート(瑶子が主人公のパート)が失敗(というのが言い過ぎだとしたら、少なくとも成功しなかった、と言い換えよう。)だった。

カメラを止めるな!

ざっくり言うと、この映画は3部構成になっていて、最初にワンカットで30分(話は横道に逸れるが、いまこの記事を書いているスマホで「30分」と出力させるためには、「さんじゅっぷん」と入力しなければならない。話を戻す。)くらいB級ホラー映画が流れる。2番目に、その撮影の1か月前の場面が続く。そこでは、そのB級映画を撮ることになる監督とその家族が撮されている。そして、最後三番目に、そのB級映画を撮影しているところが映される。

ここで、我々観客は、最初に映されたB級映画がどのように撮影されたのかの顛末を知り、笑い転げる。はずの映画なのだが、私個人は、一回クスリとしただけだった。面白くなかったわけではなく、私がそもそも映画を観て笑うような人間ではないだけのことである。それなりに面白い映画ではあった。

もっとも、「これが何十万人だか何百万人だかを映画館に呼び寄せた映画か?!」と言った人は多かったと思うし、私も心の中でそう呟いた。その程度の映画だと思うが、その程度の映画が爆発的にヒットすることもある。具体例をパッと思い出すことはできないが、きっとそういう映画はある。

そもそも、この映画が面白いと言う人に、内田けんじの「運命じゃない人」か「アフタースクール」を観てみてほしい。すでに観てたらゴメンだけど、「カメラを止めるな!」の一番のキモであるアイデアを内田けんじの映画がいかに鮮やかに作品に仕上げているかが分かっていただけると思う。

最後に蛇足を一つ。私は最初に、この映画は3部構成であると書いたが、ほんとは、最後のエンドロールにちょっとした味があって、この部分を加えて3.1部構成と言っていいかもしれない。

Missライアー

 

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いわゆる「ジャケ買い」ならぬ、「ジャケ借り」してしまった。少女の面影をかすかに残すきれいな顔に意思の強そうな目。そして体にピッタリした服がその下にある豊かな乳房を想像させる。

キャラは満点。そして、僕の好きな密室の心理劇。面白くないわけがない。と思ったのだが、一人目が死んだあたりでもう、結末が分かってしまった。

こんな(ある意味ハッピーエンドな)展開にするよりは、ジャクリーンが目一杯悪知恵を働かせて他の5人を蹴落とす、その悪知恵の巧みさを突き詰めたほうが、僕的には好みである。

ただそうなると、みんなしてジャクリーンをハメたという、この作品のキモとなるアイデアは使えなくなるが、元々それはありがちなアイデアなので、捨てても惜しくはないだろう。

あ、主人公のジャクリーンを演じた女優さんの名前を記しておこう。メーガン・ウェスト。たぶん初めて見た女優さんだと思うが、これから他の作品で目にすることもなさそうだけど、この作品に限って言えば、魅力的だった。

犬ヶ島

 

 

よくぞここまで映像を作り込んだものだと感心する。キャラクターの造形は魅力的だし、動きも鮮やか(動きと音が完全に一致する太鼓のシーンは鳥肌モノ)、背景だって手を抜いてない。

とにかく、サイコーの映像。なのに、不思議と面白くない。ストーリーがいけないのだろうか?

予告編を観たときは、もしかしたら世紀の傑作ではなかろうかと期待したのだが、本編観てもカンドーしない。もったいないなあ、あんだけのクオリティなのに。

ブンミおじさんの森

 

ブンミおじさんの森 スペシャル・エディション [DVD]

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ハリウッド映画じゃなく渋めの映画が観たい気分だったので、カンヌ映画祭パルムドールの「ブンミおじさんの森」を借りてきた。

最初はいかにもカンヌが好きそうな(というのは私の勝手な思い込みかもしれないが)、非西欧地域に残るプリミティブな文化の中で暮らす現代人の苦悩、みたいな映画だろうと思っていたら、すぐに幽霊が出てきて、猿人間も出てくる。ただ、ここからホラーやSF映画に変わるのではなく、幽霊も猿人間も当たり前の存在として話は淡々と進む。

と書いてきたものの、この映画、どこに面白さを感じたらいいのかわからないまま終わる。最後はドッペルゲンガーが登場するが、なぜここでそんなものを出す?ここからどうなるの?と思ったら終わる。

なにがなんだか分からないところでなんか雰囲気あるとカンヌで賞がとれるのかもしれない。

我らが少女A

4月から読み始めたのがこの小説のどこらへんだったのか、3月までのことを知らないので、分からない。

だから、今日、毎日新聞の連載が終わったのが唐突に感じてしまうのも、3月までの分を読んでいないからなのか、そうじゃないのかも僕には分からない。

少なくとも4月以降は、それほど劇的な展開もなく(上田朱美が栂野のおばあさんから手紙をもらっていたことが判明したのが、どうやら重要ななにかだったようだが、それも3月までの伏線を知らないと理解できないことのような気がする。)、何も謎が解けぬまま、いきなり小説が終わった。

高村薫の小説を読んだことはなかったけれど、ときどき彼女が書いた評論みたいなものを新聞とかで読むと、とても分かりやすく、また的を射てもいて、好ましい文章だと思っていた。それで、この人の本を一度はちゃんと読もうと思い、TSUTAYAで文庫をチラ読みなどすると、なぜか読みたくなるものが見つからないのである。

今回の「我らが~」の文章も、味があるというか噛みごたえがあるというか、内容は兎も角、文章自体に魅力があって好きだった。けど、本屋に行ったら、やっぱり高村薫は買わないんだろうなあ、オレ。

 

シャルロッテ・ペトリ・ゴルニツカとニリマ・グルラジャニ

シャルロッテ・ペトリ・ゴルニツカは経済協力開発機構の開発援助委員会議長で、ニリマ・グルラジャニはイギリスにある海外開発研究所の研究員である。その情報は、今朝の朝日新聞を読んで初めて知ったものである。

別に彼らの仕事に興味があったわけじゃない。自分の脳ミソがいまどれくらい腐っているか知りたくて、覚えにくい彼らの名前を記憶するのにどれくらい時間がかかるか試しただけだ。

それは20~30分かかったが、ここ数年の私の頭のボケ具合はかなりのスピードで進んでいるという自覚があったので、ショックを受けることはなかった。

そして、この文章を書いた後にまた思い出せるかチャレンジしたら、案の定、まちがってしまった。もちろんショックはないけれど、少しだけ哀しい気持ちにはなった。

 

ひとの言うこと信じちゃあかんな。

どこかで誰かが激賞していた「バタフライ・エフェクト」。たいして面白くなかったのは、まるっきりアイディアがアニメ版「時をかける少女」だったから。

過去に戻ってやり直す。何度やり直しても、直したところじゃないところに綻びが出る。二つの映画は、場所や人物が違ってても、アイディアはいっしょ。

でも、「バタフライ・エフェクト」は「時をかける少女」より先に作られてるんだから、先にこっちを観てたら違う感想になっていたかしれない。それこそ、過去に戻ってやり直さないと分からないんだけれど。

能年玲奈は天然の天才だ。

「半分青い」の総集編。

まるで能年玲奈にあて書きしたような主人公を、永野芽郁が代役で演じてるようにしか見えない。

これが能年玲奈だったら、(永野さんには悪いけれど)もっと面白かっただろうなと思う。

それほど、「あまちゃん」のときの能年玲奈はスゴかった。

そしてそれは能年玲奈の演技力というよりは、彼女がもって生まれた魅力なんだろうなと思う。そんな類いの才能は、たぶん一瞬しか輝かない、刹那的で残酷なものだろうとも思うけれど。