未必のマクベス

この小説は、偉大なるデキソコナイである。

(以下、ネタバレあり)

ストーリーが、破綻しているとまでは言わないが、ちょっとおかしいんじゃないかと思うところがいくつもある。

特にひどいと思うのは、主人公中井は森川が鍋島であることに気づかないが、読者は早い段階に見破ってしまうことである。(自分以外の読者のことはしらないが、おそらく誰でも見破れると思う)。これは、作者が見破られないと思って、つまり、読者をうまくだましていると思って話を進めているのか、主人公が見破るドキドキした場面が後のほうで準備されているのか、それとも、実は森川は鍋島じゃなくて、読者の「見破った」という優越感を叩き潰そうという作者の作戦なのか、いったいどういう仕掛けなのかと期待する。

しかし、なんの説明もなく、森川が鍋島であることを、主人公が当たり前のように知っている場面が唐突に現れる。ひょっとしたら、森川が鍋島であることに主人公が気づいたページを読み飛ばしたのかと思って、何ページか戻ってみた。しかし、そんな場面はなかった。

小説の創作の作法として、こんなバカな展開はないだろう。作者が読者に向けて仕掛けたであろうトリックが、まず最初にバレバレで、そのあと作品中で解き明かされる山場もなく、さらに、バレバレと思わせといて実は予想外の種明かしが待っているというドッキリもないなんて、まったく小説としてデキソコナイと言うしかない。

ほかにもある。主人公は、自分の愛する二人の女性のために、年齢と体型の似かよった女性二人を殺し、顔をつぶして、愛する二人の身代わりに使う。

ふつう、小説の主人公はそんなことをしない。殺人という犯罪を犯すにしても、やむにやまれぬ事情があってのことだ。少なくとも、敵対する悪人は殺しても、なんの罪もない人間を殺すことはしない。しかし、この小説の主人公は、ためらいもなく人を殺す。愛する者たちのために、主人公としては「やむにやまれず」なのだろうが、その罪におののいたり苦しんだり、そういったことは一切ない。

ただ、小説は道徳本ではないのだから、倫理的である必要もない。非人道的だろうとなんだろうと、小説は面白ければいいのである。非人道的だったら、読者が共感できずに、面白いと思われる可能性が低くなるだけで、そこさえクリアできる力があれば、非人道的かそうでないかは、小説の世界では関係ない。

この作品がそこをクリアしたかどうかは人によって感じかたが違うと思うけれど、僕はこの小説が面白かった。

だから最初に、「偉大なる」と書いた。「デキソコナイ」であるにもかかわらず。