読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ジャンゴ 繋がれざる者

 

 たまたまだけど、『マルコムX』に続けて、またしても黒人差別とそれへの抵抗の映画を観ることになった。とは言っても今回のは、『水戸黄門』とか『遠山の金さん』みたく、がまんしてがまんしていよいよがまんできなくなったときに爆発する、任侠映画みたいなものである。タランティーノはこういうベタな映画を、恥ずかしげもなく、痛快無比に作ってしまうのが偉い。

それにしても、美というものは、民族や文化を超えて一つしかないのだろうかと考えてしまう。真理や善悪は民族や宗教で異なるということを先日書いたが、もしかして、美というものは民族や人種が異なっても、結構似通っているのかもしれない。あるいは、昔は民族ごとに美の基準が違っていたのが、交通機関の発達や情報化社会の発展によって、美の基準がある程度統一していったのかもしれない。

なんでそういうことを言いだしたかというと、アメリカ映画に出てくる美しい黒人女性は、肌が黒いことを除けば美しい白人女性とたいして違いがないように思うからだ。黒人にもいろいろあるのだろうが、私の勝手な黒人のイメージは、鼻が横に広がっている。しかし、映画の中に美しい黒人として登場する女性は、たいがい鼻が小さい。鼻が横に広がっておらず、鼻の穴が上を向いていないことが、白人であろうと黒人であろうと美人である条件の一つだとすれば、美の基準が民族に関係なく一つしかない証拠にならないだろうか。

映画の話に戻る。ドクター・キング・シュルツを演じたクリストフ・ヴァルツが素晴らしい。とぼけた物言いと冷静的確な判断力(最後の最後に感情に負けてしまったけれど、それもまた痛快)が小気味よい。