カササギ殺人事件
ひどい。ひどすぎる。
逆説的な褒め言葉ではなく、ほんとうにこの作品はひどい。
帯に「全制覇第1位 4冠」なんて書いてあるけど、これはもしかすると、「ワースト1位」のほうかと嫌味を言いたくなるほどである。
作中作品である「アラン・コンウェイ」名の「カササギ殺人事件」の表紙をめくると、<アティカス・ピュント>シリーズ既刊という設定の8つの作品名が並ぶ。見た瞬間、違和感にとらわれ、数秒後には、頭の字を縦読みすれば「アナグラム解ける」であることに気づく。もうこれだけで、底の浅い作品だと思う。
と書いてしまえば、「そんなところにすぐ気づくオレって、すごいっしょ」と偉ぶってるようだが、自慢したい気は少しはあっても、疑い深いミステリーの読者は結構気づいたと思う。
これからこの作品のひどいところをいくつか実例を挙げる予定だったけど、今から歯医者に行かなければならないので、ここで終わる。
どこがひどいか確かめるために本作を読むことはお勧めしない。
羽生27年ぶり無冠
羽生竜王敗れる 27年ぶり無冠 2018年12月21日 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6307561
この記事を読んだ感想は、「寂しい」というよりは「哀しい」の方が近い。
もちろん、無冠になったとはいえ、まだまだ羽生は強い。端から「哀しい」と哀れまれるような敗者ではない。
ただ、ホームランを30本打ったシーズン(ホームラン王は獲っていない)に王貞治が引退したときのように、力はあったとしても羽生がこれからタイトルを獲ることがないかもしれないと想像するだけで、それに近い哀しさを感じてしまうのだった。
陽気なギャングは三つ数えろ
読んでるときはとても面白いのだが、読み終わってみるとイマイチな感じ。
いいんです、それで。読んでる時間が幸せならば。いや、ほんとに。
未必のマクベス
この小説は、偉大なるデキソコナイである。
(以下、ネタバレあり)
ストーリーが、破綻しているとまでは言わないが、ちょっとおかしいんじゃないかと思うところがいくつもある。
特にひどいと思うのは、主人公中井は森川が鍋島であることに気づかないが、読者は早い段階に見破ってしまうことである。(自分以外の読者のことはしらないが、おそらく誰でも見破れると思う)。これは、作者が見破られないと思って、つまり、読者をうまくだましていると思って話を進めているのか、主人公が見破るドキドキした場面が後のほうで準備されているのか、それとも、実は森川は鍋島じゃなくて、読者の「見破った」という優越感を叩き潰そうという作者の作戦なのか、いったいどういう仕掛けなのかと期待する。
しかし、なんの説明もなく、森川が鍋島であることを、主人公が当たり前のように知っている場面が唐突に現れる。ひょっとしたら、森川が鍋島であることに主人公が気づいたページを読み飛ばしたのかと思って、何ページか戻ってみた。しかし、そんな場面はなかった。
小説の創作の作法として、こんなバカな展開はないだろう。作者が読者に向けて仕掛けたであろうトリックが、まず最初にバレバレで、そのあと作品中で解き明かされる山場もなく、さらに、バレバレと思わせといて実は予想外の種明かしが待っているというドッキリもないなんて、まったく小説としてデキソコナイと言うしかない。
ほかにもある。主人公は、自分の愛する二人の女性のために、年齢と体型の似かよった女性二人を殺し、顔をつぶして、愛する二人の身代わりに使う。
ふつう、小説の主人公はそんなことをしない。殺人という犯罪を犯すにしても、やむにやまれぬ事情があってのことだ。少なくとも、敵対する悪人は殺しても、なんの罪もない人間を殺すことはしない。しかし、この小説の主人公は、ためらいもなく人を殺す。愛する者たちのために、主人公としては「やむにやまれず」なのだろうが、その罪におののいたり苦しんだり、そういったことは一切ない。
ただ、小説は道徳本ではないのだから、倫理的である必要もない。非人道的だろうとなんだろうと、小説は面白ければいいのである。非人道的だったら、読者が共感できずに、面白いと思われる可能性が低くなるだけで、そこさえクリアできる力があれば、非人道的かそうでないかは、小説の世界では関係ない。
この作品がそこをクリアしたかどうかは人によって感じかたが違うと思うけれど、僕はこの小説が面白かった。
だから最初に、「偉大なる」と書いた。「デキソコナイ」であるにもかかわらず。
アルテミスステークス
2-11で勝負して玉砕。