犬ヶ島
よくぞここまで映像を作り込んだものだと感心する。キャラクターの造形は魅力的だし、動きも鮮やか(動きと音が完全に一致する太鼓のシーンは鳥肌モノ)、背景だって手を抜いてない。
とにかく、サイコーの映像。なのに、不思議と面白くない。ストーリーがいけないのだろうか?
予告編を観たときは、もしかしたら世紀の傑作ではなかろうかと期待したのだが、本編観てもカンドーしない。もったいないなあ、あんだけのクオリティなのに。
ブンミおじさんの森
ハリウッド映画じゃなく渋めの映画が観たい気分だったので、カンヌ映画祭パルムドールの「ブンミおじさんの森」を借りてきた。
最初はいかにもカンヌが好きそうな(というのは私の勝手な思い込みかもしれないが)、非西欧地域に残るプリミティブな文化の中で暮らす現代人の苦悩、みたいな映画だろうと思っていたら、すぐに幽霊が出てきて、猿人間も出てくる。ただ、ここからホラーやSF映画に変わるのではなく、幽霊も猿人間も当たり前の存在として話は淡々と進む。
と書いてきたものの、この映画、どこに面白さを感じたらいいのかわからないまま終わる。最後はドッペルゲンガーが登場するが、なぜここでそんなものを出す?ここからどうなるの?と思ったら終わる。
なにがなんだか分からないところでなんか雰囲気あるとカンヌで賞がとれるのかもしれない。
我らが少女A
4月から読み始めたのがこの小説のどこらへんだったのか、3月までのことを知らないので、分からない。
だから、今日、毎日新聞の連載が終わったのが唐突に感じてしまうのも、3月までの分を読んでいないからなのか、そうじゃないのかも僕には分からない。
少なくとも4月以降は、それほど劇的な展開もなく(上田朱美が栂野のおばあさんから手紙をもらっていたことが判明したのが、どうやら重要ななにかだったようだが、それも3月までの伏線を知らないと理解できないことのような気がする。)、何も謎が解けぬまま、いきなり小説が終わった。
高村薫の小説を読んだことはなかったけれど、ときどき彼女が書いた評論みたいなものを新聞とかで読むと、とても分かりやすく、また的を射てもいて、好ましい文章だと思っていた。それで、この人の本を一度はちゃんと読もうと思い、TSUTAYAで文庫をチラ読みなどすると、なぜか読みたくなるものが見つからないのである。
今回の「我らが~」の文章も、味があるというか噛みごたえがあるというか、内容は兎も角、文章自体に魅力があって好きだった。けど、本屋に行ったら、やっぱり高村薫は買わないんだろうなあ、オレ。
シャルロッテ・ペトリ・ゴルニツカとニリマ・グルラジャニ
シャルロッテ・ペトリ・ゴルニツカは経済協力開発機構の開発援助委員会議長で、ニリマ・グルラジャニはイギリスにある海外開発研究所の研究員である。その情報は、今朝の朝日新聞を読んで初めて知ったものである。
別に彼らの仕事に興味があったわけじゃない。自分の脳ミソがいまどれくらい腐っているか知りたくて、覚えにくい彼らの名前を記憶するのにどれくらい時間がかかるか試しただけだ。
それは20~30分かかったが、ここ数年の私の頭のボケ具合はかなりのスピードで進んでいるという自覚があったので、ショックを受けることはなかった。
そして、この文章を書いた後にまた思い出せるかチャレンジしたら、案の定、まちがってしまった。もちろんショックはないけれど、少しだけ哀しい気持ちにはなった。
ひとの言うこと信じちゃあかんな。
どこかで誰かが激賞していた「バタフライ・エフェクト」。たいして面白くなかったのは、まるっきりアイディアがアニメ版「時をかける少女」だったから。
過去に戻ってやり直す。何度やり直しても、直したところじゃないところに綻びが出る。二つの映画は、場所や人物が違ってても、アイディアはいっしょ。
でも、「バタフライ・エフェクト」は「時をかける少女」より先に作られてるんだから、先にこっちを観てたら違う感想になっていたかしれない。それこそ、過去に戻ってやり直さないと分からないんだけれど。
「ゲット アウト」アリソン ウィリアムズ
IR法(別名カジノ法)成立
<カジノ法>成立 通常国会が事実上閉会(毎日新聞) https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180720-00000103-mai-pol
野党はギャンブル依存症を心配し、与党は大丈夫だと反論する。
ギャンブルなんだから大丈夫なわけがない。当たり前のことだ。だけど、だからダメと言う気は僕にはない。
なにか物事を決めるとき、一万人が幸せになっても一人が不幸になったらそのアイデアを廃案にするのか、一万人が幸せになるんだったら1人ぐらい不幸になる人間が出ても仕方ないと考えるのか、IR法って、結局そこなんだと思う。(IR法に限らないけれど)
人によって価値観は違うのだから、どっちが正解とも言えない。だけど、どっちかに決めないといけないので、民主主義では多数決で決めている。