高校無償化

12日朝日新聞1面の見出しは「朝鮮学校は除外方針」であるが、文科省の考えはどうやら「朝鮮学校は『高校』には該当しない(つまり「非該当」とか「非適用」)」ということのように読める。
「除外」と「非該当」は結果は同じでも、考え方は真逆である。「除外」は「朝鮮学校は本当は『高校』だけど、無償化の対象からは除きます」ということであり、「非該当」は「朝鮮学校は『高校』ではないから無償化の対象になりません」ということである。
政治家としては朝鮮学校を「除外」することで政治的アピールをしたいのだろうし、文科省としては無償化の対象としての『高校』を定義付けすることで理論武装したかったんだろう。もちろんその定義付けは、結果として政治家の考えが反映するように基準を設けている。
そもそもの発端は中井洽・拉致担当相が文科省に「除外」を要請したことであり、朝鮮学校が『高校』かどうかは関係なく北朝鮮に圧力をかけることが目的だった。北朝鮮にある学校への援助の当否を議論するのならまだ分かるが、日本の中にある学校を「差別」したからといって、それが北朝鮮への圧力になるのか疑問である。そして、無償化から除外(あえて「除外」と言いたい)された高校に通う若者たち(「高校生」と言ってもよい)は、日本という国に対して疎外感を持ったり、あるいは憎しみを抱くかもしれない。大きなことを言えば、それは日本の国益を損なうだけである。北朝鮮が「敵」だとしても、日本に住む朝鮮人を「敵」にすべきではない。