自粛ムードと「元気をあげたい」

たとえば「野球やってる場合か」とかいう言い方で、イベントや行事なんかを自粛するムードが広がっている(みたいだ)。
球場に被害があったり家族や知人が被災した楽天イーグルスの選手なら「野球やってる場合じゃない」という気分だろうが、福岡ソフトバンク阪神タイガースなんか(に限ったことではないが)だと身近に被災者なんかいなかったりする。
日本全体で喪に服するというのならそれもいい。しかし、僕らはそれほど他人の生き死にに敏感だったのだろうか。日本では1年に100万人以上の方が亡くなっている。もちろんそのほとんどは全く縁もゆかりもない。縁もゆかりもない人の死に対して僕らはいちいち反応はしない。当たり前だ。そんなことしてたら悲しむだけで一生が終わってしまう。そんなことができるのはマザー・テレサくらいだ。
もしも、テレビも見ずラジオも聴かず新聞も読まなければ、僕らは被災者の存在を知ることはないし、そもそも東北地方で地震や津波が起こったことすら知ることはない。そういう僕らが喪に服することに違和感があることを認めざるを得ない。
日曜日、ツタヤに寄ったらいつもよりお客が多かった。災害関連ばかりのテレビにウンザリした人がDVDを借りにきたのだろう。
仮にプロ野球の開幕が延期になったりすると、再開するときにはきっと「被災者に元気をあげたい」とかいうフレーズが出てくる。それはそれで厭な言葉だ。災害報道に飽きてきて、そろそろバラエティ番組でも見たいなあという雰囲気になったとき、「そろそろいいんじゃない」とは言えないものだから、「被災者の方に喜んでもらいたい」とかいう屁理屈が出てくるのである。そんなことなら、「人間で言えば初七日過ぎたので」とか言ってもらったほうがよほどいい。