『Y』

文庫の78ページにこういう文章がある。「情報を伏せること、じらして先を読ませること、そういった意図じたいが小説ふうの印象を与える」。これは、登場人物である北川健が主人公秋間に渡した「物語」に対する秋間の感想だけど、この『Y』という作品自体が、「情報を伏せ」られ、「じらして先を読ませる」つくりになっている。つまりは、ミステリー(推理小説)におけるひとつのパターンであって、それはこの作品においてうまく機能している。だからすごく面白い。面白いんだけど、ひっかかるものもある。
推理小説というのは目的地が決まった旅行のようなもので、早く目的地に到達したいという気持ちが読み進める力となり、かたや純文学は目的地がどこなのか分からないまま目的地に着くまでの過程を楽しむ旅行のようなものである。
純文学が上で推理小説が下などとは思わないが、佐藤正午が書く「純文学」を読みたいと切に思う。