君の名は。
思ったとおりしょうもなかった。
DVDには「新海監督フィルモグラフィ」ってのがあって、これまでの新海監督作品の予告編を見れるようになっていたのだけど、時代が下るにつれ(つまり最近になればなるほど)詰まらなくなっている。
7月31日朝日新聞政治断簡「でございます。」
まず、本題とは関係ないが、「味がよく値段も手頃な人気店」が「行列が途絶え閑散とした店」になったら、私ならよろこんでその店に通うだろう。並ばずゆっくり美味しいものが食べれるのだから。だのに、政治部次長の高橋さんは、「人気が衰えた店はどうにも陰気で」「通う気はない」そうだ。
まあ、それは個人の趣味とも言うべきことなので、どうでもいいっちゃあどうでもいい。
問題なのは彼女の、おそらくは自分で自分のことを既成概念にとらわれない、発想が自由で独自の感性を持っている女だと思い込んでいる「誤解」である。
新聞というお堅いイメージに私はとらわれてないんで「ございます」のよ。学者や芸術家とかじやなくって、ナンシー関というサブカルチャーの人の言葉を引用「しちゃった」りするの、わたし。
たぶん、そういうことなのでしょう、高橋さん?「俺様何様真っ逆サマー」って、あなたのことでもあります、高橋次長「サマー」。
サニー
5巻と6巻をレンタルした。
おばさんがめぐむに言う。「おばちゃんたちの前でめぐむちゃんがうまく笑えないのは、(死んだ)お父さんとお母さんに悪いと思ってるからだよね。めぐむちゃんが優しいって、おばちゃんわかってる」
泣きそうになる。
のだけど、どっか似た話を思い出す。「ハロー ハリネズミ」で、死んだ娘に似た子を養子にした男(伊藤淳史)がいて、思案顔の瑛太に所長(山口智子)がこう言う。「これからはるかちゃんは自分が代用品なだけじゃないかと悩む。お父さんも、はるかちゃんに娘を思い出して罪悪感に苦しむ。でも、いいじゃない。」(以下、略)
どっちが作品的に素晴らしいかといえば、迷いなく、前者と言いたい。
ドラマの第一話くらい、も少しちゃんと作ってほしいものである。第二話以降見る気がしなくなるから。
イレブン ミニッツ
映画プロデューサーを騙って人妻を籠絡しようとする男と騙されそうな女と、その夫は二人がいる部屋を探すためにホテルの廊下をウロチョロしている。ホットドッグ屋はシスターや犬を連れた女に商品を売り、バイク便の配達夫であるその息子は配達先で間男しそこなったり、ヤバそうな相手から逃げたりした後に親父と合流する。ホテルの外壁に吊るされたゴンドラの作業員は、休憩時間中に客の女とポルノビデオを鑑賞するが、時間切れで仕事に戻りガスバーナーに点火する。質屋に強盗に入った男は首吊り自殺体を見て逃げ出しバスに乗る。河原で絵を描いていた老人は、スタントマンが橋から飛び降りた瞬間に画用紙にシミが落ちたのを期に帰途に着く。クスリでラリった半裸の男を麻酔注射で眠らせて排除した病院スタッフは、陣痛の始まった男の妻と二人の子と心臓の止まりそうな父親を病院に搬送する。
一見バラバラだった登場人物たちは、一つの事故の被害者として全員死亡する。
大きな事故で多くの人が同時に亡くなると、我々は、「事故で亡くなった方々」というふうに一括りにするが、「事故で亡くなった方々」にもそれぞれに人生があった、というより、それぞれの人生を生きてきた人たちがたまたま同じ事故で亡くなっただけなのである。